臨時休業のお知らせとその理由

臨時休業のお知らせとその理由

お休みを頂くわけ

7月末から8月末に掛けて長めのお休みを複数回頂きましたが、下記の日程で10月にも同様に5日間ほどの休みを頂くかもしれません。

7月28日~8月1日/8月4日~8日/8月25日~29日(終了)
10月22日~26日

理由としましては、昨年予備自衛官補の試験に合格し訓練に出頭する為です。

予備自衛官補とは、自衛官未経験者の中から採用し、訓練を経た後に予備自衛官として任用する制度になります。予備自衛官補→訓練→予備自衛官(補が取れる)という流れになるのですが、その初回の訓練が7月末から始まり、秋頃まで何回か訓練を担当する駐屯地へ出頭する事になり私の場合は神奈川県の横須賀へ赴くことになります。

予備自衛官制度には以前から興味があったのですが、年齢制限はとっくに過ぎ諦めていたところ、昨年に年齢制限が緩和。思い切って試験を受けたら合格した次第です。中学生レベルの学科試験もよく分からず、「悪いと一発不合格」と担当者の方に言われた視力検査も芳しくなかったので、合格と知った際には顎が外れそうになりましたが、頭脳ではないところ、適性検査等が高得点だったのかもしれず、頑張ろうと気持ちを切り替え、昨年2024年の7月に辞令が交付され、3年間の任期がスタートしました。

しかしながら初回の訓練は2025年7月です。話すと長くなるので端折りますが、自己都合でない要因で3年任期の内の貴重な1年が全く何もせずに過ぎ去ってしまいました。

その為、3年分の訓練を2年で消化せねばならず(個人的に閑散期の春には訓練が無い)、この様なタイトなスケジュールでしか訓練が組めず、お客様にご迷惑をお掛けしないかと震えながら過去三回の訓練に挑みました。

本職の新人自衛官が3か月かけて行う基本訓練をギュッと詰め込んだような内容で、習得出来てなくてもどんどん先に進んでいくため、分からないことだらけのまま今に至り「これで大丈夫なのか」と思っていますが、そこまでの練度を求められている訳でもなく、厳しくされることもなかったので、まぁいいかと思っていますが、先々苦労するかもしれません。

予備自衛官補を志した理由

ここから先は大いに余談となり恐縮ですが、なぜ予備自衛官補を志したかも記しておきたいと思います。

私の場合、東日本大震災以降、個人的に災害ボランティア活動に参加をしていた事が大きなきっかけです。当時、災害ボランティアの活動をニュースで見る度に参加したいと思っていましたが、当時はまとまった休みが取れずに希望は叶わずに悔しい思いをしました。その後個人で仕事始め、閑散期であれば比較的スケジュールの調整が付く為、行ける範囲でボランティア活動をする様になった次第です。

はじめは被災者支援のNPOの募る活動に参加していましたが、次第に個人での参加へと移行して今に至ります。押しかけボランティアの様な事はせず、かならず公式にボランティアセンターが開設されてから参加するようにしています。中には募集していないかったり、自粛を呼び掛けているのに押しかけるボランティアもいますが、募集していなければ行きません。

この様な経緯で活動を続けるうちに、予備自衛官制度を知り応募に至ったという事になります。

動機として「困っている人を助けたい」という気持ちは当然あるのですが、元々旅行が好きなので「行った事のない街にいってみたい」「被災地を見てみたい」という狡い気持ちもあれば、世の中の生産に関わってない後ろめたさや、未熟な性格で周りに色々と迷惑をお掛けしてきた罪滅ぼしの様な気持ちもあるので、あまり褒められたものではありません。

自己肯定感を高める為に、被災地に行っているのでは?と怒られるかもしれませんが、今まで運んだ瓦礫や除去した土砂の量を思うと、何もしないよりはよかったと思っています。

因みに、予備自衛官が有事の際に前線や被災地に投入されることはなく、後方での支援が中心の非戦闘員です。その変わり予備自衛官補一人の後方支援で経験豊富な本職の自衛官が困っている人のもとに投入されると思うと、陰ながらお役に立てるのではないかと思っています。

特に運動が出来る訳でもなく、強靭な体力もありませんので不安もありますが、明るくまじめに訓練に挑めればいいなと思っています。

※即応予備自衛官・技能職の予備自衛官は被災地や前線に投入される事はあります。

活動実績

【2011年東日本大震災】-宮城県石巻市他

東北での活動は震災から2年ほど経過していましたので災害ボランティアというよりは復興支援の様な形で携わり、宮城県石巻市、牡鹿半島の小さな集落に何度か足を運びました。その後2019年に気仙沼・陸前高田、2023年に福島県の浪江町を訪れました。これはボランティア活動ではなく個人的に見て回っただけですが、復興に進む街の様子は心にグッとくるものがありました。

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【2015年関東東北豪雨】栃木県鹿沼市

初めて災害ボランティア活動に参加。茨城県で鬼怒川が決壊し、自衛隊のヘリコプターが濁流に飲み込まれそうな家屋から何人も救出した映像を覚えている方も多いかと思いますが、鬼怒川の上流である栃木県で活動しました。前年ご依頼を頂いたチーム様のグラウンドが土砂崩れに見舞われているのをたまたま目撃し心を痛めましたが、人的な被害は無く安堵したことを覚えています。

【2018年西日本豪雨】-岡山県笠岡市・倉敷市真備地区

中国四国地方に甚大な被害をもたらした豪雨。災害支援団体の募集に応じ笠岡市に2回ほど伺いました。以降は個人での活動で倉敷市真備町にて活動を行いました。数千戸が2階以上の床上浸水という途方もない被災っぷりに唖然としましたが、災害ボランティアが安く宿泊できる宿や交通手段を利用してほぼ毎月、1年ほど通わさせて頂きました。被災一年後でも未着手の案件があるほどの甚大な災害でした。

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【2019年房総半島台風】-千葉県館山市・鋸南町

関東地方を観測史上最大級の暴風を伴う台風が襲い、多くの家屋が被害を受けた風災害でした。多くのお宅が屋根が飛ばされてしまい水害でも地震でもない災害の特異さが印象に残っています。

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【2019年東日本台風】-長野県長野市

千曲川が決壊した長野市で活動をしました。浸水は嵩上げしてある新幹線の車両基地までもが水没してしまう程の高さに達し、決壊現場に近い集落は津波被災地の様な惨状。足が抜けなくなるほどの泥が広範囲に堆積していました。家屋の片づけとリンゴ畑が駄目にならない様に泥の除去を手伝いましたが、翌年無事に実ったと活動したリンゴ農家の方からハガキが届き安心しました。

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【2022年台風15号】-静岡県浜松市・磐田市・清水市

地元が被災しました。浜松市はさほどではありませんでしたが数日だけボランティアセンターが開設され少人数ではありますが天竜区で活動しました。以降は磐田市豊岡と清水市で活動しました。豊岡はあまり報道されませんでしたが、一部で土砂災害と浸水被害に見舞われました。清水市は広範囲に渡り被災した為、長期に渡りボランティアのサポートが必要とされましたが、高速道路無料措置を利用して週末ごとに自宅から足を運びました。

【2023年台風2号】-静岡県磐田市

前年被災した磐田市豊岡地区で再び河川が氾濫し被災、前年参加したボランティアが招集されるという前代未聞な災害でしたが比較的小規模な被災で済んだようでした。

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【2024年能登半島地震】-石川県七尾市・輪島市

今なお復旧半ばの能登半島。3月に七尾市の能登島で活動しました、犠牲者がいない地区という事でしたが多くの家屋が倒壊しており、犠牲者ゼロが俄かに信じられなかったです。
12月に輪島市に伺いましたが、平衡感覚がおかしくなるほどに多くの家屋が被災し傾き、あちこちで山が崩れていて言葉を失いました。地震後に水害にも見舞われており輪島は大変な状況です。簡単に足を運べる距離ではないのですが長いスパンで復興支援が出来ればいいなと思っています。又、必ず伺います。

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この記事を書いた人

DSPtakagi

DSPtakagi

凡人。旅と外出が好き。読書も嗜みます。休みの日はロードバイクで走ったり登山をしたり、苦手なジョギングもゆっくり7キロ走れるようになりました。

2024年度の予備自衛官補の試験に合格。